ご無沙汰しております。今ローマから書いています。これが最後の手紙になるでしょう。
国を出る時から生きて帰ることはないときめていましたが、不思議に今まで生きのびて、多くの人にあい、多くの事を知り、そして、最初 の考え通りの路を行こうとしていること、何度考えても、ありがたい事だと感じます。思う通り、わがままいっぱいにさせていただきましたこと、お礼の言いようもありません。
ついに孝養のこの字もさせていただくひまがありませんでしたが、もしも任務が許すならば、いつも第一にそれをしたいと思い続けていた事は、わかって下さい。
我々兵士にとって死はごく当然の日常事ですが、ただお二人が嘆かれるだろうこと、それだけが今僕の心を悲しませます。
ベトナムで今死んでいく数千の若い兵士、こちらで、又世界の至る所で、革命のために死のうとしている若い兵士たち、僕らもその一人だし、あなたがたも彼らのために泣いている何千何万の父や母の一人であること、こうした我々の血と涙だけが何か価値のある物を、作り出すであろう事をいつもおぼえていて下さい。
ローマの空は明るく、風は甘いです。町は光にあふれています。
少年時よみふけった、プリュータークの思い出が町の至る所で、僕を熱くさせます。
仕事がすみしだいお二人のもとに帰ります。ではお元気で。さようなら 剛士
お守りはちゃんと持って行きます。写真といっしょに。[1972年5月29日]